立憲フォーラムと憲法に関する Q&A​

​Q1: 「立憲」とはどういう意味ですか?

 

​​A: 確かに「立憲主義」とは、あまり聞き慣れない言葉かもしれません。「立憲」とは憲法を制定することで、「立憲主義」とは憲法原理に基づいて統治をする政治のあり方のことです。現代の各国の政体の中で。現代の国家の政体としては最も一般的なもので、世界のほとんどの国が少なくとも建前上は立憲主義を標榜しています。「立憲」の反対語は「専制」です。



Q2: 立憲主義にはどのような意義がありますか?

A: 中世以前の西欧では「王の権力は神から付与されたもの」(王権神授説)とされ、国王が絶対的な権力を持ち民衆を支配していました。これに対して、中世になると「国王も神と法の下にある」(H.ブラクトン)と考えられるようになり、国王といえども従わなければならないルールがあり、これを外れた恣意的な統治を行なえば人民は抵抗する権利がある、とされるようになります。

 この概念が、人間は生まれながらにして自由・平等な個人として尊重される権利(自然権)を持ち、それを確実なものとするために国家と契約(社会契約)を結び、政府に権力の行使を委任しているのだという、J.ロックやJ.J.ルソーなどの近代自然法や自然権の思想と結びついて「立憲主義」の思想が形成されたのです。

 こうした思想を背景に背景に、1788年のアメリカ合衆国憲法、1789年のフランス人権宣言、1791年のフランス第一共和国憲法などが制定され世界で定着していきました。そして、国民の意思で制定し、国家権力が勝手な統治を行なわないように縛る、それが立憲主義の「憲法」の本質とされるようになったのです。



Q3: 立憲フォーラムは「護憲」とは違うのですか?

A: 憲法第96条が憲法を変える手続きを定めていますから、憲法を変えること自体は憲法が想定していることでもあり、当然ありうることです。国民の声を背景に、国会でていねいに3分の2以上の賛成が得られる合意形成を行なって改正案を発議し、国民投票にはかるのが、憲法第96条が想定している「憲法改正」の手続きです。

 一方で、なかなか合意形成ができないので憲法第96条の規定を変えて緩めてしまえ、という乱暴な「第96条改正論」を唱える声も大きくなっています。何を変えるかは別にしてとりあえず変えやすくしよう、なかなか条件を満たせないから中身は別に条件を緩めよう、という極めて姑息な手法です。立憲フォーラムはこうした立憲主義の理念に反する乱暴な改憲論に反対しています。憲法を改正するには、立憲主義の立場にたった、ていねいな合意形成の取り組みが必要です。

 立憲フォーラムの会員には「護憲派」の議員もいますし、「改憲派」の議員もいます。具体的に憲法を改正する必要があるかどうかについての意見は様々でも、立憲主義の根本理念を守らなければならないという決意で一致しているのです。



Q4: それにしても日本国憲法は改正の要件が厳し過ぎるのではありませんか?

A: 最高規範としての憲法には高度の安定性が求められます。ときどきの政権が簡単に変えることができるようでは、権力制限規範としての役割を果たすことができませんし、多数派の横暴から少数派の人権を保障することもできません。

 実際に、ほとんどの国の憲法が、一般の法律より厳格な改正手続きを求める「硬性憲法」となっています。「各議院の総議員の3分の2以上」での発議と国民投票の過半数の賛成を定めた、日本国憲法第96条の改正手続きは諸外国と比べてとくに厳しいものではなく、ごく一般的な水準といえます。
 仮に、国会の過半数で発議できるようになれば、普通の政権与党はいつでも憲法改正を発議できるようになり、憲法の権力制限規範としての力が格段に弱まります。自民党「改正草案」を見れば、第96条を改正した後に、彼らが何をしようとしているかは明らかです。「第96条改正」は「第9条改正」や、国民の権利の制限に直結しているのです。



Q5: 発議の要件を変えても国民投票があれば問題ないのでは?

A: 憲法制定権限者は国民だというのが立憲主義の根本原理です。国民から「ここを変えないと生活に悪影響が出る」、「この条文を変えないと権利が守れない」などの声がわき上がったときに、国会では与党だけでなく野党も含むあらかたの政治勢力が合意できるような改正案を作成して発議するということが、想定されている「憲法改正」です。安倍首相は「国民の手に憲法を取り戻す」と言いますが、統治者が自分たちを縛っている憲法を自分たちの思い通りに変えやすくするのは、これと真逆のことで「国民の手から憲法を奪う」ことにほかならないのです。
 憲法改正国民投票は過半数の賛成で可決となりますが、多数決がいつも正しいとは限りません。多数者が少数者に犠牲を強いることを決めることもありえますし、多数決では決められない内心の価値観をどう守るかという問題もあります。多数決だけで決められないこと、多数で簡単に決めるべきではないことを規定しているのが立憲主義の憲法です。
 立法府において、過半数しかまとまらないような内容の改憲案が発議され、国民投票が非常に低い投票率で過半数となる可能性があります。憲法改正にあたっては、制定権者である国民も慎重に熟慮の上に判断することが求められますし、立法府が発議するにあたってさらにていねいな合意形成の努力が求められるのは当然ではないでしょうか。



Q6: 憲法は「国家権力を縛る」だけでよいのでしょうか?

A: 「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」(J.アクトン)という格言があります。強大な国家権力を担うのも結局は人間ですから、その力を自分勝手に使おうとする者が権力の座に就く危険が常に存在します。それを防ぐために、国家権力を縛るのが立憲主義の憲法です。権力者は、憲法の認めた範囲で法律を作って統治することが認められるに過ぎません。権力者に自分勝手な統治をさせないように、権力行使の方法や範囲を定めたマニュアルが立憲主義の「憲法」なのです。
 戦前の大日本国憲法(明治憲法)にも立憲的要素はありましたが、徹底しておらず、軍部の独走・無謀な戦争への突入、広範な人権侵害を阻むことができませんでした。日本国憲法はそうした反省の上に立って、戦争を放棄し、国民主権を大原則にして、人権を「侵すことのできない永久の権利」として掲げた憲法を作ったのです。憲法の中心的役割が「権力制限規範」であるというのは、このような意味です。
 日本国憲法には「国民の権利ばかりで義務の定めがない」という批判がありますが、立憲主義への理解を欠いたものです。憲法は国民が国家機関に権力を預ける枠組みであり、国家権力を縛るものです。憲法を守らなくてはならないのは国家権力を担う者であって、一般の国民には憲法を守る義務はありません。憲法違反とされた法律が改正を迫られることはあっても、国民が憲法違反で捕まることはあり得ないのです。



(2013/05/30現在)